ギャラリー5610のウィンドウでは、河野鷹思が1953、57、58年に日本宣伝美術会に出品したポスター3点を展示しています。(日本宣伝美術会(1951〜70年)は、山名文夫、新井静一郎、河野鷹思、亀倉雄策、原弘、今泉武治、高橋錦吉ら7名を発起人とし、約50名によって1951年に結成された戦後最初の全国的な広がりを持ったグラフィック・デザイナーの職能団体です。以後、日本宣伝美術会は通称「日宣美」(にっせんび)と呼ばれ、全国規模で日宣美展を開催、53年からは作品公募を開始、公募総数は4千点を超え、若手グラフィック・デザイナーの登竜門の役割を担いました。)
正面右手から、ポスター「SHELTERED WEAKLINGS‥JAPAN」(保護された弱きもの日本)。1953年第3回日宣美展(6月14〜22日・銀座松坂屋)に出品されました(展示作品は1990年に再制作されたものです)。1953年8月発行の『美術手帖』72号では、「日本という名の水族館」というタイトルで記載されていました。
当時のできごと>1952年にGHQによる占領期間を終え日本が主権を回復、同時に日米安全保障条約が発効されました。
ウィンドウ中央のポスター「Ashes Are Ashes」(美しい水爆だって?灰は灰だよ)は、1957年第7回日宣美展(8月20〜25日、日本橋・髙島屋)に出品されました。
当時のできごと>
1952年にアメリカ合衆国が最初の水素爆弾の実験を行うと、翌年ソ連も水爆の保有を明らかにし、米ソ両国の核兵器開発競争が続きます。合衆国は1954年3月にビキニ環礁で水爆実験を行い、近海でマグロ漁をしていた第五福竜丸が被爆、船員が死亡しました。これにより原水爆禁止運動が日本国内で広がりました。

正面左のポスターは、1958年第8回日宣美展(8月12〜17日日本橋・髙島屋)に出品された「Hazardous New Route Over Pipe-Lines」(これは物騒な……中近東行、武装ー新航空路)です。
当時のできごと>1956年、エジプトがスエズ運河の国有化を宣言、第二次中東戦争が勃発。1957年、フランスが水爆実験場所決定(実験は60年から開始)、イギリスが水爆実験、ソ連が世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功、翌年アメリカ合衆国が、大陸間弾道ミサイルアトラスの試験飛行に成功する。
スパティオ入口では、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック開催にちなみ、河野鷹思が手がけた「第11回冬季オリンピック札幌大会公式ポスター第1号」(1972年)をご覧いただいています。
今回ミラノ・コルティナ大会の開会式で、1924年シャモニー・モンブラン大会(フランス)から始まった冬季オリンピックの歴史を振り返るコーナーがありましたが、札幌大会のシーンでは、当ポスターの画像が流れていました。
お近くへお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。ウィンドウ展は、2月25日(水)まで。(11am〜6pm / 土日祝休 / スパティオも準じます)