ギャラリー5610のウィンドウとスパティオでは、河野鷹思のタペストリーをご覧いただいています。
河野はタペストリー作品について、糸という素材と織りの技術によって表現する方法、「糸の彫刻」と説明しています。
大阪万博での政府館展示設計を受けたことをきっかけに、直接的な訴えかけの表現ではなく「ヒロシマの記憶を呼び戻す」にふさわしいマチエール(材料)での表現を決め、旧知のなかであった京都の老舗である龍村美術織物に依頼し、巨大なタペストリー作品をデザインしました。デザインするにあたっては、広島で父親を失い、本人も被爆し治療を受けていた教え子の片岡修氏(当時は愛知芸大助教授)を同行し取材も行いました。
戦後25年、エネルギーの使い方でこれからの未来は豊かになる日本を見せることを目的としたEXPO‘70大阪万国博覧会。しかし、当時は世界で唯一の被爆国であった日本で、原爆の恐ろしさを訴え世界平和を強調する意義を求める声が上がりました。そのことで、河野は政府から「人類の明日・世界への希望」と「原爆のむごさを歴史的にのこす」という二つを結び付け調和させる作品の製作を担わされたのでした。


14世紀に制作された世界最古のタペスリ(つづれ織り壁掛け)「アンジェの黙示録」のタピスリーに感銘を受けたフランスの画家ジャン・リュルサは、1959-65年にかけて「世界の歌」を製作しました。そのタピスリーは人間の行動が起こした戦争、原爆の投下による破壊、核兵器への脅威を通して、平和と希望へ向かう10点のモニュメンタルで壮大なメッセージ作品でした。
河野は、このリュルサの作品にヒントを得て、相反するテーマであった原爆の事実と原発の未来を、「悲しみの塔」「喜びの塔」という2枚のタペストリー作品で表現をしたのです。
作品の構想、実際に織の工程に取りかかってからも、多くのクレームと非難が起こり「何れにしてもデザイン企画中、各方面から意見や質問が殺到して設計者を驚かせた事だけは肝に銘じて忘れない。」と書き残しています。
「悲しみの塔」俯瞰図

「喜びの塔」俯瞰図
関東大震災によって17歳で母と別れ家族が離散し、終戦後は捕虜生活からようやく戻れた経験を持つ河野だからこそ、どんな状況にも仕事に真面目に向き合い、この役目をまっとうすることができたのでしょう。
