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2016年 05月 31日
5月21日(土)ギャラリー5610にて、トークショーが開催されました。
木についての原体験や魅力、木造の歴史的背景などを、大阪市立大学准教授で建築史家の倉方俊輔氏を聞き手にお迎えし、北川原教授と稲山教授にお話いただきました。 新国立競技場の木造屋根をはじめ、大規模な木造建造物が注目されてきていますが、木造の現状を知る上でとても勉強になるお話でしたので、一部ですが掲載いたします。 7,000字を超えるお話となりますので、ゆっくりご覧ください。 倉方氏_以下、倉方北川原さんの作品はこれまでに数々拝見して、いつも素材の発見的な使い方に感服し、建築家として得難い個性の一つがそこにあると考えています。そんな北川原さんが、木という素材にどんな発見をしているのかを今日は知りたいのです。なぜ北川原さんは木が好きになったのですか? 北川原教授_以下、北川原 ぼくの実家って、築350年くらいの茅葺きの家だったんです。庄屋さんをやっていたので大きな家屋敷でした。それを大事にメンテナンスしていたんですけれど、県の教育委員会から、(文化財に)指定にするとかいう話がきていて、ぼくの親父がね、そういうのが好きじゃなかったんですよ。社会に対して反抗心を持っていた人で、そんなものに指定されたら面白くないっていってね、地元の消防団と親戚200人くらいで、僕は大学2年か3年生の頃でしたが、壊しちゃったんですね。で、そのときの記憶というのが強烈にあってね。全部、木と木で組み合わせてあって、あとは縄で縛ってあるだけで、「あ、こんなんで、こんなにでかい家がもってたんだ」っていう、そういう記憶が非常にあります。 それから僕は、信州の出身なので、山を駆け巡って育ったんですね。全然都会を知らずに育ちました。要するに木の文化、木の環境の中にいたんですよ。だから逆に言えば木が見えていませんでした。 東京に来て、コンクリートや鉄を使って設計していて、なんか物足りないなって思って…。 コンクリートや鉄は物性としては非常に複雑な物があるんだろうけど、建築の分野では簡単に扱われることに物足りなくなって、それで稲山さんの「地獄の面格子」を見たときに木って全然違うなと。つまり木は生命を持っていて、生物に近いというか、生きている、いわゆる生命体です。まあ、木材は死んでしまっているものだけれども、その一筋縄ではいかないところ、上手くいくとものすごい力を発揮するけれども、下手をすると全然上手くいかない。腐ったりもするし…。「強いけど弱い」という二面性があって、それがすごく文学的で好きなんです。 倉方 文学的という表現が北川原さんらしい。 北川原鉄はまだ文化になると思うけど、コンクリートは素材として文化にならない悲しさを持っています。ただ、ローマ時代からコンクリートはあったわけだし、縁の下力持ちで名建築を支えてきているのだけれども、やっぱり木はすごいなと。稲山さんの何だっけ?なんとかチャンピオンをみていると…。 稲山教授_以下、稲山耐力壁ジャパンカップです(笑)。 (ギャラリースタッフ註:2体の耐力壁どうしを油圧ジャッキで綱引きし強さなどを競い合うトーナメントです。耐力壁ジャパンカップ観戦記はこちらをご覧ください) 北川原稲山さんって面白くて、東大の人に見えないんですよ。東大の人って口ばっかりじゃない(笑)。稲山さんってね、しゃべりながら模型をつくるんですよ。僕の事務所に来たときに「籤(ひご)とか紙とかちょっと持ってきて」って言って、自分で切ったりして「こんな風にしたらいんじゃない」なんて。ほとんど芸大の先生のようなんです(笑)。生きている木を扱えるのはやっぱり稲山さんで、特殊な技術と感性を持っていらっしゃる。 倉方稲山先生のお話はわかりやすいです。そしてワクワクします。それはなぜかと言うと、稲山さんが、初めに観念で説明したり、あるいは社会的な正義から説き伏せたりしないからです。「木と木がこうなっているから、こうめり込んでいて…」といった物に即したことから始められる。子供でもわかるような理屈から、そのまま嘘をつかないで大きな話まで展開されます。あたりまえといえば、あたりまえなのですが、意外と珍しいのかもしれません。「東大話法」ではまったくない(笑) 稲山 北川原さんにいろいろばらされちゃっていますけど(笑)。私の場合は、そもそも「感覚的に木が好き」というところに根本があって、僕もやっぱり北川原さんと同じように田舎育ちで、野山を駆け回って、虫を集めたりしていました。北川原さんも虫とかいっぱい集めたりしたと思いますけど。 北川原 僕は「蝶」ですけどね(笑) 稲山私の家も北川原さんの家ほど古くはありませんが、大正時代からの木造の家で、昔の木造って開放的で縁側があってみたいな…。良い所はみんなそういうことをいうのですが、冬は寒いわ、夏は冷房がきかないわで、うちの親は「はやく建て直して」「新しい家建てたい」なんていいながらも、まだその実家が残っているんですけれども…。 そういう日本の古い木造の家なので、家のあっちこっちに節もあるし、またその節なんかを、子どもの頃は寝ながら「あー、天井のあそこのところに節があるな」とか、全部覚えているんですけれども、なんかそういう感覚がずっと残っていて、やっぱり木の持つそういった有機的なとこが好きで、野山で虫を集めて、自然の中に家があって、というような…。そこからずっと連続しているような…。 僕は北川原さんみたいに文学的なことはいえないんですけど…。 なんとなくそんな感じです(笑) 倉方ここで告白しなければいけないのは、私は今日のイベントには最もふさわしくない司会者であること。なぜなら、木に関心がありません(笑)。いや、なかったというべきでしょう。いずれにしても、木に対する思い入れがないのです。実家もそのまた実家も東京で、木や自然に対する原体験がないことの限界ですね。 ただ、そんな私でも、稲山さん、北川原さんがなされていることには面白さを感じます。それはレトロスペクティブではないからです。「日本人なら木だよね。時間の流れに耐えてきた傾斜屋根がやっぱり正解だよね」といった話とは異なります。未来に開けています。それが私が最近、木質構造に抱く関心と一致します。 戦後日本では、少し前まではずっと、木造のありようを前進させる取り組みは日陰者でした。その反面、鉄骨や鉄筋コンクリートは技術開発が進み、多く建設されていきました。もちろん、その背景には防災などの真剣な理由があるわけですが、そうした流れに「木は古臭さの象徴であって、戦後の社会においては本来なくなるべきだ」といった「観念」が働いていないとは言えないでしょう。 そうした木造の破壊が観念的だったとしたら、最近の木造に対する追い風の中にも「やっぱり木だよね」という観念が紛れ込んではいないかということは、意識した方が良いわけです。 稲山さんは物から、北川原さんは文学的に、観念や大きな枠組みでないところから木をとらえていらっしゃるから、今までとずいぶん異なるものになっているんだと思います。 木造は、論理的に扱った時に想像がつく、手の届くような技術でもありますね。だからこそ、「これがこう支えているんだな」と思ったり、「こんな風に色が変わってくるんだな、そうなると今度は交換のしどころだな」と考えたりと、向こう側の大きな枠組みでの技術になりきらないところに、面白さがあります。 「メンテナンスフリー」いう言葉が使われます。実際には完全にメンテナンスが要らないものはないわけで、そう言うことによって、一般とプロを決定的に分けてしまう。「こちらは何もしなくても良い」と、一般人を完全な「ユーザー」に変えてしまいがちです。 木という素材は適度に交換したり、メンテナンスをしなければいけないという性格と切り離せません。だから、一般の人が単なる「ユーザー」でなく、「一緒に考えていく存在」にしやすい。社会における人々の関わり方が変わってくることも、木質の大事な点だと思います。 稲山 おっしゃる通りで、それによって最近は、公共建築物木材利用促進法とかいう法律までつくって、なるべく木造で建てるのを促している。ヨーロッパではどんどん木造で高層ビルもできているような世の中になっているのに、日本だけがなかなか木造化が広がっていかないという時に、なんとか木造化を広めていこうとやっても、結局、自治体というか発注する側が「木でつくるとメンテナンスが大変」だとか「燃える」だとか「腐るんじゃないか」とか、やっぱりメンテナンスフリー的なものに最近の日本人は慣れちゃっているところがあって、昔の木造は手入れしながら長持ちさせていましたが、それがだんだん失われてきているので、それもあって木造が今注目をされながらも、なかなか広がっていかないところです。まさに二面性がある「いいんだけども、手がかかる」、そんな材料ですね。 倉方 20世紀に完成した巨大な方からだんだん落とし込んでいくシステムや官僚制からすると木は一番困る素材ですよね。作る時の建設費があって、「建った、はい終わり」だと話は楽なのですが、その後メンテナンス費をつけなきゃいけなくなると計量しづらくなる。なるべく単純化してやろうとするセクショナリズムの中だと一番「木」というのは合わない。それが20世紀と21世紀のずれだと思いますね。 北川原今、確かにヨーロッパやアメリカ、カナダなんかでも…、カナダなんてね30階建ての木造建築の計画があったりするんですよ。ぼくはあまり意味がないと思うんだけどね(笑)。つまり彼らにとっては、木はコンクリートや鉄と同じなんですよ。「建材」なんですね。 それがね、日本はさっき倉方さんがおっしゃったように「観念」なんですよ。 「観念」って長い歴史のなかで醸成されてくるじゃない。日本の木の文化、建築文化は二千年以上あるけど、鉄、コンクリートが入ってきて、近代建築がつくられるようになって百年ぐらいですよね。ですから日本の建築の歴史をみるとほとんど木なんですよ(笑)。で、なんで木なのかと思うと、確かに文化として醸成されてきた時点においては非常に高度な概念をもっているけれども、実は極めて単純で、なんで日本人が木を使って建築をつくってきたのかというと、やはり「循環」ですよね。環境の話ですよね。 ですからミラノで日本館(左写真:「ミラノ国際博覧会日本館」撮影・大野繁)を、どうして木で作ったのかというもの、実はそこにコンセプトがあって、日本はモンスーン気候で、海で蒸発した海水が雲になって、雲が日本列島にあたって雨を降らせて、そしてものすごく豊かな森林資源をつくった。そしてその森林から栄養分をもった川が流れて、里山をつくり、さらに海に流れて里海をつくって、まさに日本の農林水産業っていうのは森林によって成り立って、二千年以上それできているわけですよね、縄文文化までさかのぼれば…、まさに縄文文化というのは森林文化の原型ですよね。ですからそこまでさかのぼっちゃえば、一万年くらいあるわけですよね。ですから近代の鉄やコンクリートは100年だから、もう、本当に始まったばかりで、逆にいえば鉄やコンクリートがこれからまだまだ面白くなってくると思う。もっとすごいハイテックな金属やコンクリートといえないようなカーボンファイバーコンクリートみたいな…、いろんなものがでてくると思う。 その話と木というのは、ちょっと距離があるいうのは、木はどうしても、なかなか合成できないですね。まー合成しちゃうことも出来るかもしれないですけど、もうそれは木ではないわけですよ。山から切ってきた木をできだけそのまま使うというのが稲山さんの発想で、僕はそこに非常に共感をもっています。できるだけエネルギーを使わずに山から切り出してきて、たとえば集成材もぼくは決して嫌いじゃないんだけど、集成材を作るとね、熱と圧力、接着剤で、ものすごく化石燃料を使うんですよね。で、まったくの無垢材であれば、加工しないからエネルギーがかからないですよね。 ですから、江戸時代ぐらいまでの木造建築は非常に最小限のエネルギーでつくられてきているわけですよね。で、さらにカスケード型利用といって、古くなった古材は取り外して家具にして、でさらには小さい生活用具をつくって決して無駄にしない。これは江戸時代の一般的な循環型生活システムというのをつくっていたと思うけど。その元には森林資源というものがあった。だから、木を使う。 なぜ日本人が木にこだわるかといったらそこですよね。 それまでは日本の建設省というのは絶対に木造を作るなといっていました。なぜかというと、さきほどのメンテナンスのこともありますが、防災上の問題ですね。要するに国を強くするには絶対に燃えない材料を使えということです。 木を使いましょうという風になったのは、国が大きな舵取りをしたということですね。単に建築材料の問題ではなく、日本がどうあるべきか、日本の社会がどうあるべきか、世界のなかで日本をみたときに日本がどういう方向へいくのかというところまでを見据えた180度転換だった。ものすごく大きな話ですよね。 そういうことを理解しながら建築家の人たちも木を使ってほしいなと思います。 単に物性がおもしろいという話ではなく、むしろ日本がどの方向にいくの?という大きな問題を背負っているということです。 倉方 木だと、同じ構造と構成になっているので、別に椅子になってもいい話だし、橋になってもいいし、モノから考えていくと、それを使い終わったら切り刻んで別の物に換えるなりすればいい。 北川原さんは素材がぐるぐるまわりながら、農業、林業、工芸、芸術、建築と今は別の分野になっているけれど、繋がっていくということがすごく大事であるとおっしゃっているのだと思います。それはただ建設物の枠の中で「コンクリートの代りになる木を使いましょう」というレベルの話ではないんですね。 北川原 だからね、稲山さんは「農学部」なんですよ。それが非常に重要なんです。理工学部の建築学科だとやっぱりそういう発想になかなか行かないですよね? 稲山 農学部はやっていることが理学部に近くて、みんなサイエンスをやっています。農学部だと農業だとか林業をやっているように思われますが、もっと根本の、バイオテクノロジーであったり、セルロースナノファイバーで新素材をつくるだとか、ものすごいミクロというか、ナノの世界を研究しているんですね。だから同じ学科なのに卒論なんかの話をきいても全く分からないですね(笑) 北川原 稲山さんはね、すごく面白い木材をつくりますよ。いままでにない…。それを僕は待っているんです。 稲山 さっき北川原さんがおっしゃったように、木って、人間がどんどんコントロールする方向で、集成材だったり、合板とか、工業製品に近いものにしてきていますが、木の持っているおおもとの特性は、ある意味非常にばらついていて、生物材料なんですね。人間だって同じ大人でも、力で言うと相撲取りと小柄な人とでは10倍ぐらい違う。それと同じように木の強度にも、ものすごくばらつきがある。 それをコントロールしにくいところが、逆にすごい魅力なんですよ。それを魅力だって思える構造屋さんは以外と少ない。構造屋は鉄やコンクリートに慣れているので、木造もなるだけコントロールしやすくしようということで、どうしても接合部は鉄で木を継いでつくるということを考えるんですけど、本来木はそのばらついたままで使った方が、木らしいものが引き出せますね。 倉方 それが21世紀的ですよね。20世紀は計量化・数量化が猛威をふるった最終世紀です。すべてのものは計測出来て、それを扱うものが科学技術であるという線発展していった、そういう素材として扱うんじゃなくてという話が現代だと思います。 例えば、昔はコンピューターが発達してなかったので単純化して落とし込まないと構造計算ができませんでした。今はコンピューターが発達しているので、最近の若手建築家の住宅でも、構造家とコラボレーションして面白いものがでたりしています。個々の要素を単純にして計量化しなくても、全体を扱えるというのが、いまの大きな流れであって、木質の復権もそうした文脈の中にあります。 稲山 木をわかる棟梁とかは、昔、木をみてその特性を読んでコントロールしながらつくっていた。今は、まだそこまで科学が追いついてないだけかなと思っています。 北川原 西岡常一さんは、屋根が100年で30センチ下がることを見越して建てていますよね。計算に乗っけていたのはわずか100年程度なんですよ。 辰野金吾は東京駅を最初コンクリートで計画していて、他の現場でどろどろのコンクリートを見てね、怖くなっちゃって、コンクリートは信用できないから鉄骨に変えたって話をきいたことがあるけど、要するにそういうところからはじまって、計算できれば、こうできるよっていう話はほんの100年なんですね。明治時代の初期ぐらいまでは本当に感覚でやってわけですよね。 これからまたそういう忘れ去られていた感覚的なものが、楽しいサイエンスによって支えられられて、社会化できるようになるといいなと思います。 木の建築をやるようになってちょっと勉強したら、イギリス軍が第二次世界大戦の時に完全木造の戦闘機(デ・ハビランド・モスキートDH98)をつくっているんですね。ま、日本でもベニア板みたいので作ってすぐに落ちてしまったりしましたけど…。イギリス空軍のはすごいんですよ。ぼくの先輩のまるやひろおさんという木に非常に詳しい人がいろんなデータ(『地球と家と木の物語』まるやひろお著)をつくっていてね、これは稲山さんの領域なんだけれども、鉄と木を比べると、曲げ強度は鉄の15.4倍、コンクリートの400倍だったかな…。 稲山 比強度としてはほぼ同じくらいか、木の方がすぐれてたりします。 北川原 木はずっと軽いですよね。だから単位重量で比べたら木の方が圧倒的に強いんです。鉄よりもコンクリートよりも強いんです。その比較表をみて僕はびっくり仰天してね。 つまりそれだけ木は軽いってことですよね。地球の表面に建築をつくって行くときに軽い方が地球を痛めないわけですよね(笑) そういう意味でも、日本の文化というのは非常に優れている。さらにもう少し調べていったら、ベネチア共和国が作られる時に、ベネチアから200キロぐらい北にいったところに石灰岩のとれるドロミティという今はリゾート地になっている高原があるんですけどね、そこの麓に、ベネチア共和国は当時15〜16世紀から、広大な森林を育てていたんです。それは人工林です。 それを切ってベネチアまで運んできて、海中に打ち込んでいたんです。膨大な杭ですよ。その上にレンガの建物をつくっていったんですね。ですからみなさんベネチアへ観光にいきますよね。建物が綺麗だなって見ているけど、あの建物の下がどうなっているのか、あまりご存知ないと思うけど、下は松杭が何十万本って入っているんですね。その上にあの美しい都市が成り立っている。それを考えると木ってすごいなと思いますね。 「木って腐る」って言われていますが、実は酸素が供給されなければ腐らないんですよ。ですから海中に完全に浸かっているとものすごくもつんですね。 もう千年とか二千年とかもっちゃうわけですから、コンクリートはとてもかなわない。 …ということで、木を追求する稲山さんに、新しい、スーパーウッドをはやく開発してもらいたいですね(笑) (以上で、北川原教授、稲山教授、倉方氏によるお話は終わります。ありがとうございました。) ●過去の「木を知り・木を使い・木を活かす」展のブログです。 「木を知り・木を使い・木を活かすvol.1」 ・コンペ編 ・建て方編1 ・建て方編2 ・安藤教授トークセミナー ・稲山准教授トークセミナー ・スタッフ訪問五月祭「たわみ測定競技編」 「木を知り・木を使い・木を活かすvol.2 早稲田大学建築学科古谷誠章研究室+東京大学大学院木質材料学研究室展」 ・建て方編1 ・建て方編2
by gallery5610
| 2016-05-31 09:15
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